私たちの食文化に欠かせない『米作り』。
今では様々な農業機械を使用して生産されているお米ですが、
・「昔の稲作はどんなだったの?」
・「今と昔ではどう変化したの?」
・「昔と今の機械の違いってナニ?」
と興味をもつ方が増えて来ています。
そこで本記事では、『米作りに使う機械の今と昔の違いや変化』について徹底解説いたします。
この記事はこんな方にオススメ
この記事を最後まで読んでいただければ、『米作りに使う機械の今と昔の違いや変化』について知ることができますよ!
米作りに興味を持たれた方や、昔の稲作を学びたいという方のお役に立てれば幸いです。
※いち早く内容を知りたい方は「目次」より読み飛ばして下さい。
昔の米作りってどんなだったの?
昔は「米作り」のほとんどの工程を人の手作業で行なっていました。
少しだけ昔の米作りの様子を見てみたいと思います。
昭和20年頃の『田起こし』
こちらは、昭和20年頃の〝田起こし〟の様子です。
田起こしは「鍬(くわ)」で掘ったり、牛に「スキ」を引かせる方法で田んぼを耕していました。
昭和20年頃の『田植え』
こちらは、昭和20年頃の〝田植え〟の様子です。
田植えは一株ずつ手で植えていました。体力もいりますが腰にも負担のかかる辛い作業です。
手間と時間を必要とする重労働です。
昭和20年頃の『稲刈り』
こちらは、昭和20年頃の〝稲刈り〟の様子です。
稲刈りは「鎌(かま)」を使い手で刈ります。遅れると熟れ過ぎて品質が悪くなるため、たくさんの人を集め一斉に行います。
田植え同様に、大変な労力と多くの人手を必要とする重労働です。
このように『米作り』は昔からとても大変な作業だったため、農業機械の発展は農家さんにとって悲願でした。
それでは農業機械が昔と今ではどのように変化してきたのかをご紹介します。
農業機械の今と昔を比べてみた!!
ここでは米作りに使われる〝機械の今と昔の違い〟ついて比較してみました。
田起こし・代かき
昭和中期以前
【切馬鍬(きりまんが)】
掘り起こした田んぼの土をさらに細かく砕いたり、田植え前の田んぼを平らにならす道具。
牛や馬に引かせて使用します。
【短床犂(たんしょうすき)】
田んぼを耕す道具。扱いやすく、深く耕せるように刃先や取り付け角度に工夫が凝らされています。
現在
【耕うん機】
耕うん機とは、田や畑の耕耘(こううん)を目的とした農業機械のひとつ。
耕耘機(こううんき)は、運搬用に使用するため耕運機とも表記され、耕うん機と一般的に用いられるようになりました。
構造上の特徴から「歩行型トラクター」というイメージですが、本来のトラクターとは全く別の農業機械に位置付けされています。
【トラクター】
トラクターは本来「牽引車(けんいんしゃ)」を意味するものですが、〝農業用トラクター〟の意味で用いられるのが一般的です。
土を耕す〝ロータリ〟をはじめとする様々な作業機械を接続することで、
・耕うん
・肥料、農薬、種の散布
・草刈り
・収穫物の運搬
など、さまざまな農作業ができる万能選手です。
田植え
昭和中期以前
【苗籠(なえかご)】
田植え用の苗を運ぶ籠(かご)。天秤棒にぶら下げて運びます。
現在
【田植え機】
田植え機は、イネの苗を水田に移植する農業機械。歩行型から乗用型があり最大では10条植え乗用田植え機まであります。
【軽トラ】
管理と除草
昭和中期以前
【ラチウチ鍬(らちうちぐわ)】
田んぼに生えた雑草を取ります。草取りをしながら土をかき回す効果もあります。
【踏み車(ふみぐるま)】
用水路や河川から田んぼへ水を汲み上げます。人が羽根車を足で踏んで回すことで汲み上げる揚水水車(ようすいすいしゃ)です。
現在
【農薬散布機】
【草刈り機】
稲刈り・脱穀
昭和中期以前
【足踏み脱穀機】
ペダルを踏むと針金の付いた部分が回転し、稲から米を取ります。
お米が飛び散るので注意が必要です。
【千歯扱き(せんばこき)】
鉄の歯のすき間に稲の穂先を入れて引き抜くと籾(もみ)だけが落ち、脱穀することができます。
元禄時代に発明された当時としては画期的な道具として普及しました。
現在
【脱穀機】
脱穀機は「自動脱穀機」とも呼ばれ稲・麦の束を〝こき胴〟に送り込み、唐箕の送風により籾(もみ)ともみ殻を選別します。
【ハーベスター】
収穫を行う機械を総じてハーベスターと呼びますが、日本では脱穀機の一種である〝自走自脱型脱穀機〟を指すのが一般的です。
刈り取りと同時に脱穀するコンバインとは異なり、脱穀に特化した動力機です。
移動式の脱穀機とイメージして下さい。
【バインダー】
収穫期を迎えた作物の〝刈り取りと結束〟を同時に行うことができます。
バインダーが登場する以前は、人が鎌を用いて手作業で刈り取り作業をするため、大変な労力を必要としていましたが、
昭和30年代後半に登場しその後、日本で広く普及し効率的な収穫作業が可能となりました。
【コンバイン】
コンバインとは、イネやムギを収穫するための農業機械のひとつ。
自脱式コンバインとも言われており、稲や麦を〝刈り取りながら脱穀する〟
つまり、ハーベスターとバインダーの機能を備えたような農業機械です。
乾燥・選別
昭和中期以前
【唐箕(とうみ)】
ハンドルを回し風を起こして、米と籾殻(もみがら)を分別します。
重みのあるお米は下に落ち、軽い籾殻(もみがら)やゴミは飛び出すようになっています。
現在
【選別機】
私の農家では稲刈りに〝ハーベスター〟と〝バインダー〟を使用しています。
稲作をやり始めたころは、稲刈りと脱穀ができるコンバインに憧れ
「なんでうちはコンバインにしないの?」
「その方がラクじゃん。」
などと愚痴に近いことを呟いていました……。(-_-;)
これには実は理由があったんです。
バインダーで〝刈り取りと結束〟をした後に〝天日干し〟をします。
天日干しをすることで、藁(わら)の栄養素がしっかり実に移り、
追熟した、より一層おいしいお米となります。
コンバインだと稲刈りと同時に藁(わら)と籾(もみ)を分けてしまうため、
藁(わら)からの養分を追熟することは難しいと言われています。
私の発言は浅はかでした……。(反省)
なので、今では「美味しくなあれ!」と思いながら
しっかりと〝天日干し〟をしています(^^)。
とは言え、コンバインはとても優秀です!
コンバインがあるからこそ、沢山のおいしいお米を
私たちは日々の生活の中で食べることができるのです。
昔の米作りの苦労を振り返る
『米作り』は〝実るまで八十八回の手間がかかる〟と言われ、
田起こしや苗の準備、稲刈りや害虫駆除、水の管理など多くの手間を〝八十八回〟と表現し「米」という漢字の由来になったとされるほど様々な苦労があります。
多くの手間と時間がかかるため、田植えの時などは子供たちも学校を休んで手伝っていました。
稲作においては〝水管理〟も、とても重要です。
苗の成長に合わせて水の量を調節しますが「水見半作」と言われ、稲作の半分が水管理であるほど大切な作業です。
高い場所に〝灌漑(かんがい)用水路〟や〝ため池〟を設けたり、桶や水車を使って水を運んだり、
今では想像もつかないような大変な労働であったと伝えられています。
様々な工夫をしていた昔の米作り
今と比べて圧倒的に人の手で行う作業が多かった昔の米作りでは、当時ならではの工夫がされていました。
〝田起こし・代掻き〟では牛や馬など家畜の力を利用したり、水管理では用水路やため池を設けたり。
その他にも〝田植え〟では「疎植」ができるように縄や田植え定規を使用し、
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稲刈り後の〝脱穀〟では鉄の歯の隙間にイネの穂先を入れて引き抜くと籾(もみ)だけが落ちる「千歯扱き(せんばこき)」という道具を使用し、
稲作が少しでも効率よく行えるよう工夫が施されていました。
60年前と現在を比べた米作りの変化
現在(2022年)から60年前となれば昭和37年ごろ。
現在と昔を比べた米作りの変化は、やはり〝機械化〟です。
機械化が進むにつれ、わずかな人手と労力で稲作が行えるようになり、
米作りの効率化は劇的に進化しました。
米作りの機械化はいつから?
動力による機械が実用化されたのは1933年(昭和8年)ごろ。
田んぼを耕す〝動力耕運機〟が最初といわれています。
当時、太平洋戦争による石油資源の不足により普及するには至りませんでしたが、
1955年(昭和30年)以降、工業の発展に伴い〝農業の機械化〟に向けた研究が進み、1965年(昭和40年)頃に〝田植え機〟が登場。
この田植え機が大成功を収め、一気に普及したのです。
昔、使われていた機械を知ろう!
動力の機械で言えば、1933年頃に登場した〝動力耕運機〟が最も古いものといわれています。
人力の機械なら、上記でご紹介した〝足踏み脱穀機〟や〝唐箕(とうみ)〟が元祖であると言えます。
『田植え』の昔と今の違いについて
田植えの昔と今を比べた大きな違いは〝手植え〟と〝田植え機〟です。
手植えの場合、男性が苗を運び田んぼに目印をつけます。
その後、女性が田植えをするのですが一般的で作業が分担されていました。
ちなみに田植えをする女性は「早乙女(さおとめ)」と呼ばれていたんですよ!!
男性は田んぼに目印をつけるために、縄や田植え定規などの道具を使用していました。
昭和40年代から〝田植え機〟が普及し、今は一般的な方法として利用されています。
田植え機であれば植える株の間隔がそろい、まっすぐ均等に植え付けることができます。
作業効率は飛躍的にUPしたんですね!!(^^)
『稲刈り』の昔と今の違いについて
昔の稲刈りは〝鎌(かま)〟を使った手作業で行われていました。
〝草刈り鎌〟のようなものから稲刈り専用の〝鋸鎌(のこぎりがま)〟を使うといった変化はあるものの、この手作業は昭和40年頃まで続きました。
刈った稲は「はざがけし」や「動力脱穀機」を使い脱穀します。
1960年代に日本でコンバインが導入されることになり、1967年(昭和42年)に日本で初めて井関農機がコンバイン[HD 50型フロンティア]を開発。
販売後、わずか1年で1064台を売り上げました。
この頃からコンバインが普及し始め、稲刈りから脱穀まで行えるコンバインの活躍により
作業効率が劇的にUPしました!!(^^)
現代の『米作り』道具一覧
現代では米作りに様々な機械や道具が使われています。
様々な機械を使うことで日本の米文化を支えているんですね!
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【まとめ】
本記事では、『米作りに使う機械の今と昔の違いや変化』についてご紹介いたしました。
人力の機械であれば〝足踏み脱穀機〟や〝唐箕(とうみ)〟が元祖であると言えますが、
動力による機械であれば1933年(昭和8年)ごろに実用化された
田んぼを耕す〝動力耕運機〟が最初といわれています。
1965年(昭和40年)頃に〝田植え機〟が登場し、その後には
・播種機
・トラクター
・動力散布機
・草刈り機
・コンバイン
・ハーベスター
・バインダー
・乾燥籾摺り機
など、様々な農業機械が活躍するようになり、
日本の米作りは劇的に進化していきました。
米作りの歴史に触れることで、これまで以上に稲作に感謝の気持ちで
ご飯が美味しく食べられそうですね(^^)
『米作りに使う機械の今と昔の違いとは?時代の変化を徹底解説!!』を、最後までお読みいただきありがとうございました。
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